ドリームキャスト(その2)


【出典】…ゲーム ハード SEGA ドリームキャスト(1998.11.27発売)
 
【説明】…セガ・エンタープライゼス(現:セガ)が発売したコンシューマ用ビデオゲーム
一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。全世界累計出荷台数は約1045万台、うち日本での出荷台数は約245万台である。
ソニープレイステーションに劣勢を強いられていたセガサターンに代わる社運を賭けた次世代機として投入された。同世代のゲーム機は「NINTENDO64」と、本機より後に発売された「プレイステーション2」などが挙げられる。
本機の販売終了と同時にセガは家庭用ゲーム機の開発・販売から撤退しており、ドリームキャストは事実上セガ最後のゲーム機となった。
 
 
【独断】…ドリームキャストのここが凄かった! 
というわけで、悪口の後はスーパー持ち上げタイムである。
そもそもゲーム機に「ドリーム」なんて言葉を付けてしまっている時点で尋常ではない。セガの放つ夢想に、キミのハートは付いてこられるか!?
 
ドリームキャストと言えばインターネット機能。
20世紀末は、とにかくインターネットを制した者が偉いという風潮だった。
「300万ポリゴン」と「ネット機能」と「通信対戦」の三つの売り文句だけを武器に、世界と闘い、そして散っていったDC…。(というか、通信対戦はネット機能のうちの一つなので、実際の特色としては二つである。)
当時は「時代(インターネット)に踊らされてんじゃねーよ、セガ!」というセガファンからの意見も多かったが、大型コンシューマーによる本格的な通信プレイの導入というのは、ゲーマーたちの一つの夢でもあった。
 
でもって、実際やってみると、これが思いの外面白い。
日本全国のみんなと対戦・共闘できる。コミュニケーションが取れる。
ガチガチに対戦しまくってそのソフトの全国ランカーになるも良し、見知らぬ人と友達になってワイワイ会話を楽しむも良し。
私も含めて、通信プレイ自体に不慣れな人が多かったため、ユーザーにとっては何もかもが新鮮であった。そして、みんながそこでのやり取りを大切にしようとした。今みたいにネット定型文みたいなものも確立されていなかったから、基本的に誰も彼もが“素”というか、自分の言葉で会話をしたのだ。
何しろネット上で「本名プレイ」をしている人が結構な頻度で居たくらいである。この上なく“素”だ。
ファンタシースターオンライン』(2000.12)、『あつまれ!ぐるぐる温泉』(1999.09)、『CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001』(2001.09)、『フレームグライド』(1999.07)…、どのソフトも通信プレイの面白さがダイレクトに伝わってきた。

 
…が、インターネッツを駆使したDC独自の真に凄いところと言えば、やはりコレである。
 
■ メールチャムが凄かった

メールチャムは、セガのゲーム機ドリームキャストにて実施された、架空のキャラクターと電子メールをやりとりできるサービス。ラズベリーフォー、JetGirls等、複数キャラクターで構成されたユニットも生み出した。

Wikipediaより。
…これ、凄くないだろうか。ユーザーが二次元キャラにメールを送ると、個別に返信されてくるのである。
一体どういう技術を駆使したのかわからないが、二次元と三次元の境界を越えた究極のコミュニケーションと言える。
当時、私はメールチャムを「末期のオタクがやるものだ」と思ってバカにしてやらなかったのだが、末期のオタクになった現在、その事を凄まじく後悔している。人生の1.3%くらいは損しているんじゃないかと思う。
二次元キャラクターがこちらのメールに誠心誠意応えてくれるのだ。最高ではないか。一通一通手書きだから、返信されるまで二日三日掛かることもあるのだそうだ。ぁぁぁあああ…この手作り感、堪りません!
「一番好きなゲームは『○○』というエロゲーです」というメールを送ったら、メールチャムのキャラクターから寛容な応えが返ってきたというユーザーもいる。うーん、私も色々送ってみたかった。
パソナルーム座敷牢)にいる社員が暇つぶしに返信しているなどという下衆な噂も流されていたが、全くの事実無根である。『センプレメールチャム!』ファンサイトによると…
「実際にいる人間が受け答えしてくれます。受け答えする人はキャラクターに近い容姿の人を採用しているとのことで、1人1キャラ担当だそうです。」
…だそうだ。いいなぁ。というか、「近い容姿」なんて言ってるけど、多分キャラ本人が書いているんだろう。うん、イイ!
セガじゃなくてもいいから、メールチャムは何らかの形でまたやって欲しい。これはソフト屋さんでも出来るだろう。予め期限決めてりゃそんなに負担でもないだろうし。(課金システムもXbox360とかならカンタンだと思う)
私は『アーマードコア』のキャラクターとメールチャムをしてみたい。
…リ、リリウムちゃんとかと。グヘヘ…。
ただ、あまり下品な質問ばかり送っていると、相手がオールドキングに切り替わったりするんだろうな。

 
…いかん、熱くなってしまった。以下、それ以外の「凄かった!」を挙げていこう!
 
■ シェンムーフォークリフトの人気が凄かった
制作費70億円を掛けたセガの“超大作”ソフト『シェンムー 一章 横須賀』(1999.12)。
シェンムー』自体を褒めている人はあまり見掛けないし、私もやった事がないのだが、ソフト内にあるミニゲームフォークリフト」の評判だけはえらい良かった。
どんな内容かというと、主人公がフォークリフトに乗って木箱を指定された場所へ運ぶのである。すると、運んだ木箱の数に応じてバイト代が貰えるのだ。
…いや、それだけだ。それだけなのだが、『シェンムー 一章』の評価の80%はこのイベントに対するものである。つまり制作費から換算すれば56億円くらいの価値がある…と言えなくもない…かも知れない。
他に褒めるところがないのかなんなのか、とにかくこのフォークリフトだけはプレイヤーからの評判が良かった。究極の自由度と極限の作り込みを目指したソフトで、一番評価された部分が単純単調なミニゲームというのも、なかなか哀しいものがある。
「一章はフォークリフトゲー」「二章にはフォークリフトがないからやる価値がない」などとあちこちから言われてしまった『シェンムー』。
ソフトを作るのに何十億円掛かっていようとも、遊ぶ側は数百円〜数千円でそれを入手できる。これは完全にお買い得だろう。究極のFREE(Full Reactive Eyes Entertainment)を体感するために、今から『シェンムー』をやってみるのもいいかも知れない。

 
■ シーマンが売れてしまったのが凄かった
ピカチュウげんきでちゅう』(1998.12)に対するセガの応え(というわけではないのだが、発売時期が被った)。50万本というDCソフトトップクラスの売り上げを記録した伝説の珍作『シーマン』(1999.07)。
マイクデバイスによる音声認識で、ゲーム内に存在するペットの「シーマン」と会話ができるというのがウリだった。当然、音声認識能力や入力できる語彙には限界があるわけで、「会話」というほどの体裁が取れていたかは疑問だが、プレイヤー側が気を遣って色々試してみれば面白い応えが返ってきたりした。
結論として面白いゲームではある。…のだが、問題は、DCにとってこれが“一般層向け”のソフトであったということだ。
所謂ゲーマー層は、ほっといてもゲームをやるし、ソフトの面白さもある程度は勝手に理解してくれる。それ以外のお客様、所謂一般層をどうやって獲得していくかというのは、昔からハード屋さんの悩みの種であり、そして腕の見せどころでもあった。
ゲーマー向けソフトと、キャラ売りソフト、誰に向けているのか解らないソフト、そんなんばっかりだったDCが、一般層獲得案として出した結論が「人面魚と会話をするゲーム」である。
確かに、音声認識で架空のキャラと会話をできるというのは、ゲーム性云々以前にそれ自体が面白そうだ。CMを見ているとシーマンのセリフも含蓄ありげな感じがして、誰が見ても興味を引かれること受け合い。
実際、私の周りでも、普段ゲームをやらない人達が、兄弟や友人からDCを借りてこのソフトをやっていたりした。
…しかし、『シーマン』は、一般層が期待するほどウィットに富んだ会話は成立しないし、プレイヤーが手を付けられる要素も少ない。プレイヤーの行動が育成に反映されるのにも時間が掛かる。そういう作品なんだから仕方がないのだが、ダルいといえばダルいゲームなのである。言い方を変えれば、わりと通好みの作品だったのだ。
シーマン』をやって、「DCの他のソフトもやってみよう!」と思ってくれたプレイヤーはほぼ皆無であろう。むしろゲームで遊ぶこと自体がイヤになってしまった人もいるのではないだろうか。
そもそも「他のソフト」と言っても、見渡せば『ゴジラ・ジェネレーションズ』とか『戦国TURB』とかそんなんばっかだ。地獄のようなハードである。
シーマン』のヒットによって、DCは「半端なマニア機」として生きていくことが決定的となった。
 
 
■ 電話代の請求が凄かった
「簡単インターネット」がウリのDC。簡単なのはいいとして、一つ大きな問題があった。
ユーザーが各自でプロバイダ契約をしている・していないに関わらず、DCはアダプタさえ接続すればすぐにでもネットに接続できてしまうのだ。
つまり、どういう事かというと、料金がどの程度になるのかよく分からないまま、オンラインゲームをガンガン遊べてしまうのである。これによって、ゲームプレイから一月後・二月後に数万〜十数万円の電話料金を請求されるユーザーが続出した。
もちろん当時から割安なプロバイダは存在したが、インターネット自体が普及していっている真っ最中、「プロバイダ」という言葉自体を知らない原始人(私含む)も多かったのである(というか、私は今でもよく分かっていない)。
セガはDC発売当初、自前で「セガプロバイダ」を用意し、恐るべき事にこれを無料で開放していた。…が、アクセスポイントが非常に限定的であったため、利用できるユーザーはごく一部に限られていたのだ。
当時、オンラインゲームの新鮮な魅力に打ちのめされたユーザーたちは「DCすげー!」と一度唸り、その後に来た請求書を見て「DCマジすげー!」と二度唸るというのが恒例であった。
殺す気か!

 
■ ギャルゲーラッシュが凄すぎて凄かった
1998年の11月に発売を開始し、2001年の3月にその製造を終えたDC。
ハードのシェア争いとしては恐ろしく短い闘いであったが、その後もソフトは続々と発売し続けた。
そしてそのラインナップが凄かった。製造を終えてからのDCは鬼人の如きギャルゲーラッシュを敢行した。
どの辺までを「ギャルゲー」と呼ぶのかはデリケートな問題ではあるが、そんな個々人の主観なんざもはや関係ないとばかりに、とにかくギャルゲーを出しまくったのだ。PCのアダルトゲームからの移植がベラボーに多く、「とりあえずビール」的な感覚で「とりあえずDC」とばかりにソフトメーカーが参入してきた。
ハードの敗北が確定した2001年以降にも217に及ぶソフトが発売されたが、そのうちの半数以上がギャルゲーである。
NECインターチャネルアルケミスト、キッド、プリンセスソフトTAKUYO加賀テック、ここいら辺がもうやりたい放題。『北斗の拳』のモヒカン軍団のように、荒廃した世界(DC)を「ヒャーハハーッ!」と跳梁した。
そんでまたDCって発色がキレイなもんだから、ギャルゲーをやると画面が映えること映えること。このために生まれてきたハードと言っても(ry

 
…と、まぁ、こんなところだろうか。
どうだろう、ドリームキャストの素晴らしさをご理解して頂けただろうか。
真面目な話、発色は本当にイイので、画面のクオリティ的には未だに余裕で遊べる代物だ。ポップ路線の絵と相性が良く、またそういうソフトも多かったので、潜在的な“寿命”はむしろPS2よか長いのではないかとすら思う。
…ごめん、言い過ぎた。PS2には負ける。
ただ、単独で見れば非常に良いハードであった事は間違いない。
 
ハード屋としてのSEGAが最期に放ったその螺旋の輝き、ゲーム好きならずとも是非一度体験して欲しい。
ちなみに、大神一郎を主人公にした最後の『サクラ大戦』シリーズ、『サクラ大戦4 〜恋せよ乙女〜』は未だにDCかPCでしかプレイできない。
DCの入手は今のところそれほど困難でもないが、製産・サポートが終わっている以上、年月が経てばまともに稼働する物も少なくなってくる(ましてDC壊れやすいし)。興味のある方はお早めに入手することをオススメする。
 
じゃあ、最後にいきますか!
セガのゲームは世界いちぃぃぃ!
 
おわり

ピカチュウげんきでちゅう

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