範馬刃牙 単行本第29巻感想


【ネタ】…マンガ 範馬刃牙 作者:板垣恵介
 
【説明】…格闘マンガ『範馬刃牙』の単行本29巻の感想
今回のエントリーはある程度本作を読んでいないとわからない内容だと思います。
2011-02-05「『グラップラー刃牙』シリーズ 好きな登場人物ベスト10!」

 
【独断】…29巻というか最近の刃牙に対する感想です
2011年6月8日発売の『範馬刃牙』29巻。発売日に即行で買って読んでみた。
一言でふつーの感想を言うなら「メチャクチャ」である。
「メチャクチャ凄いバトルが繰り広げられている!」とか「メチャクチャ話が盛り上がっている!」とかではなく、文字通りメチャクチャなのだ。有り体に言えばストーリーが破綻している。
 
刃牙シリーズは総連載期間20年。これまでだって良くも悪くも読者の度肝を抜く超展開は数多くあった。
強引な理屈でキャラクターが突然パワーアップしたり、ストーリーの主軸に絡ませようとしたキャラを捨て駒にしてしまったり、散々引っ張っておいたエピソードのオチをスカしたり…言い出したらキリがない。
というか平時が常に超展開なので、ファンは「まぁバキだからね」という感じで、時には呆れ時には大興奮でその大波乱の物語に付いてきた。
 
しかし、ピクル編が終わってからのバキは、それとはまた違う、一見すると完全に迷走してしまったかのような状態に陥る。
それまでの「波乱」という意味での超展開ではなく、話の主軸がどこにあるのかも判らない「破綻」という意味での超展開だ。
これまでは強敵が現れて刃牙を始めとした主要人物がそいつらと闘っていく…という一応わかりやすい物語には違いなかったのだが、今は何を目指した話なのかもわからない。
ストライダムのどうでもいいエピソードをやったり、徳川の爺さんの寿命が迫ったり、烈海王がボクシングを始めてみたり、独歩や剛気が素人相手にストリートファイトをしたり、千春が刃牙に喧嘩を売ったり、勇次郎が雷に打たれたり…もう訳が分からない。
真っ当なファンからしたら、「なんなの!? 一体何がしたいの!? もう刃牙と勇次郎が闘えばそれでいいんじゃないの!?」という感じだろう。
 
29巻ではその破綻が極みに達している。
最初の話は烈のボクシング。次の話では千春と花山の会話。そしてその次は独歩が通り魔を撃退。その次はまた烈のボクシングに戻る。胡散臭いチャンピオンが登場して烈は一体どうなる!?…と思いきや、また場面が変わって今度は勇次郎がストライダムや独歩と会話をしていたりする。
ハッキリ言って展開がバラっバラ。それらのエピソードが最終的に一本の軸に集約される気配もない。本連載をやりながらスピンオフを同時進行で描いているような感じ。
一応ストーリーマンガなんだから、こんなメチャクチャな展開が本来許されるはずはない。
 
…そう、許されるはずはないのだが、実は、私は今の『範馬刃牙』の空気が好きで好きで仕方がないのである。
 
この作品も長年続いているが、私はシリーズ最新部に当たる『範馬刃牙』が一番渋くて好きだ。
本作では闘いをセックスに喩えることがしばしばあるが、それをそのまま下品に流用させて貰えば、『バキ』までは、萌えキャラやセクシーキャラが次から次へと現れてどんどん過激なセックスシーンを放出してくれるような作品だったのである。
現在は、その萌えキャラ達が彫り深く描かれているうちに「人物」へと成熟して、それぞれの意志でそれぞれの人生をリアルに歩んでいるような感じがするのだ。
 
キャラクター同士が落ち着いて会話をする場面も、シリーズが『範馬刃牙』に入ってからかなり増えた。
刃牙、勇次郎、独歩、克己、烈、花山、千春、紅葉、オリバ、ピクル、徳川、ストライダム…それぞれがそれぞれのスタンスで人間関係を築いている。
闘う相手とどういうアプローチを経てどういうコミュニケーションを取るか。これも『範馬刃牙』以降かなり突き詰めて描かれている。
オリバの時もピクルの時も、そして勇次郎の時も、これから闘おうとする相手との関係は密に密に練り上げられるようになった。
つまり、件の喩えで言えばきちんと“恋愛”をしているのである。
 
現在の破綻っぷりは、そういったキャラクターたちの一人歩きと、思い付いちゃったネタを描きたい欲求を、板垣先生自身が抑えられずにいることが原因だ。
もちろんこれはストーリーマンガとしてはやはり失敗なのだと思う。
ただ、その分、登場人物達は好き勝手に動き活き活きとしている。
今の『範馬刃牙』は、育て上げてしまったキャラクターたちにちゃんとそれぞれの人生とそれぞれの落としどころをつくっているような感じがして、何か見ていて良い意味で切なくなってくるのである。*1
 
ここまで来たらメチャクチャだろうが何だろうがもう板垣先生の好きなようにやってもらって、ファンは黙って付いていくのが一番いいのかも知れない。
実際、ここ最近の板垣先生は、話作りに関してはスタッフとも編集者とも一切相談をせず完全に一人で考えているのだそうだ。
 
現在、週刊少年チャンピオン本誌では、刃牙と勇次郎が最終バトル*2を繰り広げている真っ最中。
結末は全く予想が付かない。ファンもどういうオチが着いたら自分たちが納得できるのかわからない。多分、板垣先生自身もこの先どうなるのかわかっていない。何せ刃牙と勇次郎は勝手に動いてしまっているのだから。
私は一読者としてただひたすらに刃牙を応援するのみである。
…え? 勇次郎が負けるところは見たくないって? んな、放っておいたって勇次郎は負けやしませんて。だからみんなで刃牙を応援しましょうぜ。
 
おわり

範馬刃牙 29 (少年チャンピオン・コミックス)

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【追記】…格闘技回帰
長年の読者の方であればお気付きであろうが、刃牙シリーズは『範馬刃牙』に入ってから「今更何言ってんの?」というような話が非常に多く出てくる。
強さはインフレにインフレを重ねて、ありとあらゆるシチュエーションのノールールバトルが繰り広げられ、もはや既存の武道や格闘技の理論など介在する余地はないかのように思われる本作。しかし、実は『範馬刃牙』に入ってから一度は捨てた*3かのように思われる“常識”を取り戻しているのである。
 
体格的に不利だからオリバと真正面から打ち合うなと叫ぶアイアン・マイケル。
格闘家がいくら強いといっても単純な身体能力は常人の2、3倍程度だと言うマウス。
強い推進力を持つものは横からのエネルギーには弱いと語る花山薫。
金的は絶対だ、カウンターは相手の心の隙間を打つから有効だと言い張る烈海王
空手には本来殺傷性のある技が存在すると説く愚地独歩
ボクシンググローブ特有の感触を利用して脳震盪を狙うスモーキン・ジョー。
 
本当に全部「なんで今更そんな話を!?」というものばかりだ。
烈のボクシング編なんて全部そうだが、なぜ今更常識的な格闘知識をことさらにクローズアップするのか。
 
この回答は、刃牙vsピクルで刃牙が言った
「俺たちは格闘技を手に入れたッ 何も捨てちゃいないッッ」
のセリフに集約される。
 
荒唐無稽なことをやってやってやり尽くした本作が、突き詰めた結果「あ、そうか、格闘技って凄いな」に戻ってきたということなのだ。
多分、あのセリフに感動した読者は少ないと思う。「だったら烈の中国拳法や克己の空手でピクルが倒されたっていいじゃんよ」という話で。
ただ、それでも私はあのセリフを聴いて感動した。本作が、究極のノールール・究極の肉弾戦を追い求めて続けて、ピクルというトンデモキャラまで引っ張り出して…行き着いた先が格闘技回帰だったというのが、なんか妙に嬉しかったのである。
…烈や克己が負けたのは「未熟ではある…しかし、貴様はまちがってはいない」というところだろうか。ぶっちゃけそこは主人公補正の有無だよな…
 
おしまい

*1:ジャックの落としどころがあのままだったらイヤだけど

*2:最終かどうかは不明。勝手な予想だけど、多分この一戦だけでは終わらない。

*3:というか初めからなかった