血液型性格分類


【ネタ】…血液型性格分類
 
【説明】…血液型と人の性格との間に特定の関連性を見出し性格を分類しようとすること
狭義にはABO式血液型による分類を指すが、白血球型なども含めた血液型全般による分類を指すこともある。「血液型気質相関説」や「血液型人間学」とも呼ばれる。
当初は日本人の医学者、教育学者、心理学者などによって、新しい学説の候補として提案されたが、その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、紆余曲折を経た後、学会で否定された。
だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや近年日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じているかのような言説が増えた。それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出すコンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。
血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、そのような関連を裏付けるような統計データは得られていない。科学的な根拠が存在しないにも関らず、一部の人達の間で科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる。
日本でもっとも普及しているABO式血液型性格分類は、1970年代に出版された能見正比古の著作がその発端である。

 
【独断】…私もエセ理論で一山当てたい
差別と偏見と暴力に充ち満ちた世紀末な本ブログだが、相容れないハラスメントも存在する。いわゆる血液型性格診断だ。
さすがに軽い世間話の一端で話題に上がったところで怒ったりはしないが、結構な深度で信じている人を見掛けると残念に思う。
 
そもそもABO式血液型ってただの抗原と抗体の話である。B抗体をつくるとかA抗体に結合(凝集)するとか、それだけの話だ。性格(脳)に影響が出るような要素・傾向は確認されておらず、それどころか疾患や身体的特徴に対する相関関係もほとんどない。
性格をカテゴライズするというのはそれ自体が面白いのかもしれないが、血液型による性格の分類は、一見科学的に見え、「それなりに根拠があるんじゃないか」と思わせる、なかなかタチの悪い風説である。
書籍はもちろん、テレビ番組でもこれまで血液型性格診断は数多く取り扱かわれ、無根拠なラベリングが横行した。2004年には放送倫理・番組向上機構BPO)より勧告が出され、2005年02月からはそういった番組は減少している。それでもまだ、それなりに信じている人は少なくないのではないだろうか。
 
1999年頃に流行った「動物占い」とかならまだ可愛い。というか、理不尽過ぎて許せる。
生年月日によって人を勝手に動物に喩えて「こういう性格です」と言い切る。
バカ過ぎてあまり誰も真に受けないし、よしんば少し真に受けたところでたかが知れている。カテゴリーの中から自分を特別視して、「この動物だと言われるとなんか嬉しい」「ちょっと当たったりしていて楽しい」それだけで済まされる。
例えば…「あなたはドスイーオスです」と言われたところで、「なんだよー! 俺、ドスイーオスかよー! ナルガクルガとか格好いいのが良かったよー!」と騒いで終わり。別に一生ドスイーオスのアイデンティティを背負って生きていくことはない。せいぜいあだ名が「毒トカゲ」になるというくらいだ。
 
ところがどっこい、血液型性格診断は、信じている人とその周辺にじっとりとラベリングを施していく。
厄介なのが、信じている人も別に確信があるわけではなく、「科学的な根拠は曖昧だけど、なんとなく“ある”んじゃないかな」と思っているところである。つまり、逆に言えば、もはや根拠がなくてもいいわけだ。
さらに厄介なことに、その風説が日本全体にある程度浸透している以上、それ自体がバイアス要因となって、キチンと反証統計を取ろうとしたときにジャマになることすらある。
 
根拠がないのにあさっての方向から性格を判断する・されるというのは、根本的に乱暴で危険な話だと思う。
「○○さんはB型だからああいうことをやるんだ」「私はA型の人とは相性悪くて」「僕はO型だからこうなんだな」…どれも理屈に寄せた考えだろう。
 
…で、これが本題なんだが、仮にそれが本当だとして、気軽に吹聴していいものなのだろうか。
そもそもが「否」である理屈だけれども(少なくとも今のところ)、仮に「是」であった場合に、なんの配慮もなくメディアで取り扱ってしまえば、ある意味究極的な差別を助長するおそれがあるのではないか。
だって先天的な要因で「あなたはこういうカテゴリーに属する人だ」と断定されてしまうのである。逃れようもなく人の性質が暴かれるのだとしたら、そんな情報は本来易々と公開できるもんじゃないだろう。
血液型性格診断をエンタメとして取り扱うメディアは、そういった配慮などまずしない。
 
というか、今の世の中、実際に先天的な特徴なんて科学的に判ってしまうのである。
なんせゲノムデータの解釈精度が増せば、顔つき、骨格、なりやすい病気、気質に至るまで、データ化してポンと出てしまう。
そんなもん知りたいですか?
…いや、知りたいことは知りたいかもしれない。ただ、知ったところでその情報を有意義に処理できますか? という話だ。
ましてや、メディアでその情報を公開するとなったら大変なことじゃないだろうか。
「血液型で性格わかるなんて面白いじゃーん」ってノリは、無邪気にそういった領域に足を踏み入れてしまうのと根本的に同じことだと思うのだが…
 
一昔前は、そこそこ家柄のいい所だったら、結婚相手先の親族・家系を調べるというのは常として行われていた。
特定の宗教やヤクザとの繋がり、借金、問題のある親戚、その辺のことを調べるのが主だが、もう一つ、健康上の問題がないかというのも重要なポイントであった。
重大な病気に罹りやすい家系であれば、その時点でNGなわけだ。これにはいわゆる精神病も含まれる。
今でもそういう調査は健在のようで、変な話、暗に倦厭されてしまう家系も確実に存在している。
ゲノム、特に遺伝子の情報なんて、究極のプロフィールになってしまうわけで、そんなもん気軽に知り・知られできてしまったらたまったものではない。
 
それこそ、別に個人単位でなくとも、「あの国の人間は遺伝的にこうであるらしい」とか「あの民族はこういう因子を持っていることが多いらしい」とか、そういった情報って、大衆レベルに拡がれば害の方が大きいと思う。知識と選択肢は多い方が良いってもんでもない。
狂四郎2030』じゃないけど、現実にDNAで差別できる世の中にはなっているのである。こんなこと言っている私だって、知れば確実にガンガン差別する。
…そんなところを巡ってきて、今時「血液型で相性診断」とかって、お花畑的というか、ぞっとしない話だなぁと思う。
 
人の性格を決めつけるのなら、動物占いとか、そういう可愛げがあるのがいいよねぇ。
ちなみに、昔サムシング吉松先生が行った「ゲーム機占い」によると、私は「PCエンジン」であるのだそうだ。
意味がわかりません。
そう、意味がわからないくらいでちょうどいいと思う。
 
おわり

狂四郎2030 1 (ジャンプコミックスデラックス)

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