赤い花束


【ネタ】…マンガ 小学館 赤い花束(2005) 作:高橋留美子
 
【説明】…2000年〜2005年にかけてビックコミックオリジナルに掲載された『高橋留美子劇場』を単行本化した作品集
高橋留美子劇場』はビッグコミックオリジナル不定期(おおよそ年一回)に掲載されている読み切りシリーズ。
現代の日本を舞台に、ありふれた人生、家族など、現実的なものを題材としてドラマを描いている。
『赤い花束』は単行本化されたものとしては3冊目に当たる。
単行本のタイトルにもなっている読み切り作品『赤い花束』は2002年に掲載。
 
【独断】…なぜか高橋先生の短編集は冬に読みたくなるの巻
漫画でも映画でも音楽でもなんでもいいが、作者の名前で品質が保証されすぎていて「あー…はいはい。この人のやつね」ってモノは沢山あると思う。
大御所作家が自身の得意なジャンルでつくった作品となると、一定以上のクオリティであることは間違いなかろうが、ある意味では面白味に欠ける。
彼らのやり口は見慣れているし、ひょっとしたら見飽きているかもしれない。
 
 
高橋留美子劇場』なんて、「あー…はいはい」の権化みたいなものだ。
「家族」をテーマに、日本の一般的な家庭をモチーフにして読み切り形式で物語が描かれる。
主人公はフツーのオッサン・オバサン。別に異星人でも拳法家でも妖怪でもない。ごく普通のリーマンや主婦。そんな普通に生活を送っている人達の、ちょっとした一大事をコメディタッチで描いている。
 
基本、このシリーズは現実に則しているからそうそう派手な展開にはならない。ドラマチックに過ぎるのも違う。なんだかんだ話の最後には「家族」が上手くまとまるのも見えている…というか初めから決まっている。
フツーの男と女のすれ違い。フツーの親と子のすれ違い。それがオチのところでカチっと綺麗にはまる。どのエピソードもただそれだけなのである。
高橋留美子先生による高橋留美子調のお約束だけで構成されたいい話。正に「あー…はいはい」ってもんだ。
 
…と言いたいところだが、世の中には「来ると分かっていても打てないストレート」というステキな言葉もある。江川卓のアレだ。
この作品集、お約束の集合体だとわかっていながら、ものの見事にこちら(読者)の心が持って行かれる。
本当にスジだけ見ればただの“いい話”なのだが、そこにきちんとヤマがあってオチがあってイミがある。
一つ一つの話を見終えた後に、もの凄く納得がいってしまう。「うんうん、良かった」と言いたくなってしまう。日本人の平均的な幸せをかみしめたくなる。
いつものるーみっくだと分かっていても、まんまと「やっぱ、いいなぁ」と思ってしまうのだ。
 
高橋留美子作品には、登場人物同士の「すれ違い」「勘違い」が頻繁に出てくる。
これは恋愛要素・ギャグ要素、どれにもよく使われている。キャラクターが素直に自分の好意を相手に伝えられなかったり、誤解によってドタバタ劇が繰り広げられたり、結構万能だ。
本作の場合はリアルな一般家庭をモチーフとしているので、こういった「すれ違い」はわりとシリアスな使われ方をしている。
妻を理解できていない夫、夫を理解できていない妻、子供を理解できていない親、親を理解できていない子供…ここいら辺の非常にリアルなすれ違いが、イヤミなく描かれている。
男特有の鈍さ、女特有の無神経さ、大人の身勝手な部分、子供の不安定な部分、これらが見事に合わさって物語が進行していく。
 
単行本タイトルにもなっているエピソード『赤い花束』は、それが最も顕著に表れている作品だ。
主人公の吉本一は一企業の課長として身を粉にして働いていたが、宴会の席で深酒が祟って急死してしまう。
幽霊となった一は自分の葬式の様子をうかがってみるが、妻の玉代は全く哀しそうな素振りを見せていない。それどころか、一との結婚生活の愚痴を漏らしている。
家のことを任されきりにされて、自分が忘れられてしまったかのように感じていた玉代。「その程度のことがなんだ。俺だって一生懸命働いていたんだ」と憤る幽霊の一。仕事一辺倒だった父の死にどう反応して良いのかわからない息子の正広。
ネタバレになるので具体的なことは言えないが、すれ違い続けていた彼ら家族の関係が、オチの部分でカチっと綺麗に固まる。
 
男が女のことを理解しきるのは不可能だし、その逆も然りだ。親が子供の心を解るはずもないし、子供が親の事情を考えるのも難しいだろう。
ただ、家族であれば互いに認め合う事は出来る。不器用だとそれを形に表しにくい。
ちょっと不器用な人達が、最後にちょっとだけ報われていく話。
設定だけ聞いていると暗そうな話も多いけど、るーみっく調なんで、どなたでもお気軽に楽しめます。
人を殺すゲームばかりやっているそこの貴方、たまにはこういう作品もいかがですか?
 
おわり