なぜ人は触手になりたがるのか


【出典】…二次元 浮世絵 艶本 喜能会之故真通(きのえのこまつ) 蛸と海女(1820) 作:葛飾北斎
 
【説明】…触手を用いた性行為のシチュエーションに興奮することを指す
触手責めは日本において特に好まれ、発展したポルノグラフの一様式である。古くは葛飾北斎の『蛸と海女』で描かれている。
国内においては成人向け漫画・アダルトアニメ・アダルトゲームにおいて定番の描写の一つであったが、海外にも輸出された前田俊夫の漫画・アダルトアニメ超神伝説うろつき童子』やアダルトアニメ『淫獣学園(La☆Blue Girl)』における触手責めは国外のポルノ愛好者にもこのシチュエーションが広く知られる契機となった。
触手責めの描写をエスカレートさせた場合、肛門に挿入された触手がそのまま腸、胃、食道を経由して口にまで到達するという「貫通」、行為の対象となる人間に卵を産み付ける、または惨殺する描写も存在する。
Wikipedia「触手責め」より)
 
【独断】…日本の伝統芸能「SYOKUSYU」
つくづく、日本というのは素晴らしい国だなぁと思う。
「しょくしゅ」で画像検索してみて改めてそれを実感した。普通「しょくしゅ」と言ったら「職種」だと思うだろう。…違う。日本において「しょくしゅ」と言ったら「触手」を指すのが“普通”なのである。18歳以上の方でなんとなく言わんとしていることが解るという方は、グーグルか何かで試してみて下さい。
 
声優の小野大輔さんも杉田智和さんも、日本が世界に誇る触手アニメ『淫獣学園』シリーズがお好きなようだ。私も子供の頃よく見ていた。『うろつき童子』なんかは単純にSFバトルとしても面白いので、小・中学生にも自信を持ってお勧めできる。『魔法少女アイ』もテレビアニメ化したら日曜朝なんかに持ってこいなのではなかろうか。
 
「衣・触・手」の言葉にもあるように、日本の二次元文化において、触手は欠かせない存在になっている。特に18禁ゲームにとっては花形の一つと言っても過言ではない。
ダークかつ超常的な要素が入ったエロゲにおいて、BAD ENDが「男性主人公の触手化」というケースは非常に多く見られる。
初めは優しかった主人公だが、プレイヤーが性欲に任せて鬼畜な選択肢を選んでいると、次第に正気を失い粗暴な性格になっていく。そして“闇の力”に引き込まれた挙げ句、最終的には人でなくなってしまう(触手化する)…というのがよくあるパターンだ。
また、ハナから主人公が触手であるというゲームも多い。
プレイヤーが一人称視点で怪物(触手の塊みたいなやつ)を操り、町や学校などを襲うのだ。逃げていく女性キャラはちゃんと道を沿っていくが、こちらは人ではないので壁を破壊して相手を追いつめたりできる。見事女性キャラを捕まえられればムフフ画像(死語)が拝見できるというわけだ。
 
三人称視点で触手を愉しむのは解り易い。
一風変わった痴態に興奮するというのは、当然、誰しもあるところだ。劇中の敵キャラが触手を使って女性キャラに卑猥なことをする…という場面が入った二次元作品などは、星の数ほどもある。日本では日常茶飯事とも言える。
しかし、これが、「自分自身が触手になる」というシチュエーションだと、さすがに違和感を覚える方もいらっしゃるのではないだろうか。さきほど挙げたエロゲの例のように、一人称視点で触手を愉しむのはまた独特な趣があって、プレイヤー・視聴者を選ぶ。
 
だが、独断で言わせて貰えば、触手の真髄は一人称視点にある。
それというのも、触手を用いたシチュエーションは、その卑猥な描写自体もそうだが、非現実的な非人間性に魅力があるからだ。つまり、ほ乳類ですらないバケモノになる事によって、リアルに考えれば凄惨なはずの性描写もデフォルメ化されるのである。
 
いきなりなんだが、私は普段からエロい事しか考えていない。「我ながらよくこんなこと思いつくな…」と、自分自身でも退いてしまうような倒錯したエロシチュエーションが常日頃頭に浮かぶ。
…が、発想として頭に浮かんでも、妄想の中でそれを実行する事ができないのである。ひとえに言ってチキンだから。
決してモラルが強いわけではないのだが、あまりに惨かったり情けなかったりすることは、妄想の中とはいえやりにくい。罪悪感や自己嫌悪にどうしても負けてしまう。結果、至ってノーマルで、至ってつまらないエロ妄想で脳味噌が止まってしまう。
 
そこに来て、商品として用意された一人称視点の触手は、ものの見事にツボにはまるのである。
ウネウネウネウネさせて、何でもかんでもやりたい放題。しかし、こちらは人間ではない。罪の意識に苛まれる必要も、自分を情けないと思う必要もない。だって触手だもん。(←客観的に見た場合、この発想自体が情けなくもあるのだが、それくらい好きにさせてあげよう)
創作物と割り切れる以上なんでもできる。質感や体位も亜リアルにエロティックな上、全てが自由である。
触手になる、というのは、単なる性倒錯ではない。そこには確かに男のロマンがあるのだ。
 
葛飾北斎が描いた古典触手絵画『蛸と海女』。
蛸と海女が絡んでいる全体像を描いている(見せる)ため、絵画をそのまま見れば当然客観である。…が、実はこの作品も一人称視点の可能性を含ませている。
というのも、この『蛸と海女』、絵の周りに「おバカさん」としか言い様のない素晴らしいセリフが付いているのだ。
つまり、描かれている大蛸・小蛸の、どちらにでも感情移入しやすいようになっているのである。
記事が長くなってしまったが、最後にWikipedia「蛸と海女」から、そのセリフを引用して終わりたい。

大蛸:
いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて、けふといふけふ、とうとうとらまへたア。てもむつくりとしたいいぼぼだ。いもよりハなをこうぶつだ。サアサア、すつてすつてすいつくして、たんのふさせてから、いつそりうぐうへつれていつてかこつておこうか。
 
女:
アレにくいたこだのう。エエ、いつそ、アレアレ、おくのこつぼのくちをすハれるので、いきがはずんで、アエエモイツク、いぼで、エエウウ、いぼで、アウアウ、そらわれをいろいろと、アレアレ、こりやどうするのだ。ヨウヨウアレアレ、いい、いい。いままでわたしをば人が、アアフフウアアフウ、たこだたこだといったがの、もうもうどふして、どふして、エエ、この、ずずず
 
大蛸:
ぐちやぐちやズウズウ、なんと八ほんのあしのからミあんばいハどうだどうだ。あれあれ、なかがふくれあがつて、ゆのやうないんすいぬらぬらどくどく
 

アアモウくすぐつたくなつて、ぞろぞろとこしにおぼへがなくなつて、きりもさかひもなく、のそのそといきつづけだな。アア、アア
 
小蛸:
おやかたがしまふと、またおれがこのいぼでさねがしらからけもとのあなまでこすつてこすつてきをやらせたうへですいだしてやる

  
北斎が平成の世に生まれていなくて良かった。画力が異様に高いマイナーエロ絵師とかになってたかも知れん。
 
おわり

いたずら1歳 やりたい放題

いたずら1歳 やりたい放題

 
【追記】…画像
『うろつき童子』の一部画像を無断でいくらか貼り付けようかと思っていたのだが、触手が出ているシーンは全て18禁なためやめておいた。このブログから「爽やかさ」をとったら何も残らないからな。だから今回は久々に画像が少ないです。
 
【追々記】…リンク元
先程気が付いたのだが、記事内に声優さんの名前がフルネームで書いてあるため、そのリンクで人が来てしまう可能性がある。こんな内容でスミマセン。予め謝っておきます。
逆にこちらもうろ覚えの事を検証するため「小野大輔 淫獣学園」などで検索して、女子高生のブログに行き着いてしまったりしてヒヤヒヤした。彼女たちがアクセス解析した場合、気持ち悪がることは必至である。しかし、これは謝らない。気持ち悪がって下さい。ハアハア…。
というか、「女の子のためのラジオ番組」で『淫獣学園』の名前を出す小野さんが悪い。
 
おしまい