天元突破グレンラガン


【出典】…アニメ 天元突破グレンラガン(2007.04-2007.09) 原作・制作:GAINAX 監督:今石洋之
 
【説明】…ガイナックスアニプレックスコナミデジタルエンタテインメント製作の日本のロボットアニメ作品
これは、とある一人の男の物語。
遥か未来。人間は何百年もの間、地中の中で穴を掘って生活していた。ジーハ村の少年シモンは、いつものように得意な穴掘りをしていると、光る小さなドリルと巨大な顔を見つける。兄貴分と慕うカミナに、その顔を見せようとしたその時、突如として村の天井が崩れ、巨大なロボット=ガンメンとライフルを持った少女・ヨーコが落ちてきた。
騒ぎの中、シモンは巨大な顔に光るドリルを差し込むと、その顔はガンメンとなってその姿を現した。
シモン達は襲いかかる敵ガンメンを打ち破ると、勢いそのままに地盤を突き割り大空へと飛び出す。眼前に広がる壮大な地上の風景に興奮を隠せない一行は、地下暮らしを投げ打って地上で旅する事を決意する。だが地上は獣人達が人間に対して侵攻を続ける戦場でもあった。
シモンとカミナの旅の行方は…!

 
【独断】…ネタバレを避けると本編について具体的なことが何も言えなくなる作品
先月『天元突破グレンラガン』を見るまで、半年くらい全くアニメを見なかった。いつもいつも「これから見るモノがつまらなかったらどうしよう…」などと考えて、視聴から腰が退けてしまうのである。
身を乗り出して人一倍集中して視聴する分、作品がつまらなかったときのガッカリ感が尋常ではないのだ。見に行った東映アニメフェアがつまらなかったときの小三男子を想像して欲しい。そう、ソレ。そんなような状態になってしまう。…まぁ、今26歳だけど。言い換えれば9歳と210ヶ月。

 
…置いといて。
いきなりなんだが、「はてなハイク」とやらに、本作『天元突破グレンラガン』に対する気になる書き込みが記載されていたので勝手に引用したい。

<前略>
敵・他者の存在は無に等しくて、ひたすら身内・仲間内でほめあいはげしましあう関係しかないという。物語上の一応の敵(具体的な顔も名前も持たない抽象ぶり)を閉塞している、閉じこもっていると罵倒しながら打倒するのだけど、そんなことのたまわっている自分たちのほうがよっぽど閉塞してら、と言いたくなる。
<中略>
タイトルにある通り何かを突破していくのがテーマであり一番の快楽どころなんだけど、突破すべき壁が陳腐というか、むしろ壁そのものは描く気がない。何かを突破してて気持ちいい、それだけ。うーん、正直それじゃ乗れないんですけど。
ミッキー・ロークの「レスラー」を見てください。もう壁壁壁、四方八方壁ばかり。
肉体の壁、経済の壁、さらには娘の心の壁。娘の壁なんて、一度はせっかく壊したのに、さらに強固な壁に。しかも乗り越えられない壁に…。どの壁も重くて痛くて生々しい。しかしミッキー・ロークは突破しようとするんです。最後の必殺技ラムジャム、銀河や空間を超えるよりも、はるかに突破してますよ。
<後略>

理屈に怒りを塗りたくったような、なかなかキツイ批判レスである。
…で、実際の『グレンラガン』はどうなのかというと、実は、そのまんまこのレスの言うとおりなのである。ハッキリ言ってご都合主義の権化のような作品だ。
その場の思い込みと気合い次第で主人公一派は無尽蔵に力が出るし、それだけで敵はやられていく。いかにもアニメ的なノリの熱血で全てが解決される。主人公とその周りだけが宇宙の中心で、それ以外は“敵”と“愚者”ばかり。
見る人によっては、ただみんなでギャーギャー言っているだけの、空回りでオタ臭くてガキ臭いキャラ売りアニメに映るだろう。
 
…だが、敢えて…敢えて…無理を承知で敢えて言いたい。
「もう半周して純粋な熱血作品として見てくれ!」と。
というか『グレンラガン』に真の意味で感動できるのって、ミッキー・ロークの『レスラー』に感動できる貴方↑のような大人なんだと言いたい。

 
ネタバレを避け過ぎて、未見の人には「何の事やら…」という話になっているので、『グレンラガン』の超大雑把な概要だけ説明する。
本作は、所謂、熱血スーパーロボットアニメである。
オーバーテクノロジーの巨大ロボットを主人公が乗り回し、種の存亡を掛けて強大な敵へと立ち向かう…という、王道の内容だ。
様々な苦難を乗り越え、主人公たちは成長し、敵を打ち破り、さらなる高みを目指していく。
気合いの入りまくった作画、ベラボーにカッコイイBGM、そして熱すぎる脚本などが評価され(要するに全部)、ゼロ年代スーパーロボットアニメの決定版的な評価を受けている。

 
…が、反面、上記のように、この作品を本当に冷めた目で見ている人もいる。それも単なる生理的なアンチではなく、わりと真剣に視聴した上で、理路整然とした理由を以て「これはあかんだろ…」と言う人が結構な割合でいる。
そりゃそうだ。やっていること自体はかつてのスーパーロボット作品群の踏襲(+α)。「ありがち」のフレームに頑張って肉付けしまくっても、年季の入ったアニメ視聴者からすれば、華美であればあるほどそこに虚しさを感じかねない。
その場の決断と気合いで全てが解決する、徹底的にポジティブで自己完結な世界観。そりゃ、いい歳して“正しい目”を持っちまったおっさんオタクが素直に楽しむのは難しい。
 
しかし、「だったら見なきゃいい」とは、私は全然思わない。
上にも書いたが、そこをもう半周して熱血に戻ってきたところに、このアニメの真髄があるからだ。
逆に言えば、あまりにも素直に「グレンラガン最高!」「全編燃えた!」と言えてしまう人は、それはそれで素晴らしいことだが、「もう一周足りない!」と思う。
 
古くさい、深みがない、自己完結、虚勢ばかりの粗暴なご都合主義作品…。制作はあのガイナックス、そんなことは億も承知のはずである。そしてそれを承知で突き抜けたからこそ、『天元突破グレンラガン』には価値があるのだ。
ボクシングにおいて、ノーガードでスタミナも考えずただひたすらにぶん殴りに行くのは、愚か者の所行である。ただし、そいつがむちゃくちゃ速くてむちゃくちゃ強くて、むちゃくちゃ必死だったら、愚かなりに何らかの成果が上がるかも知れない。
天元突破グレンラガン』は物語としての法を犠牲にして、その代わり出来うる限りの「熱血」を作中にねじり込んでいる。酸いも甘いも噛み分けたオッサンたちが、ノーガードで熱血モノを描いているのだ。
 
本編の中で、「アニキ」ことカミナが、弟分にして親友のシモンに言う。
「俺の無茶に中身をくれたのは、お前なんだ! 俺の「進め」に中身をくれたのは、お前なんだよ!」
グレンラガン』が大いなるハッタリであるとするなら、そこに中身を与えるのは、他の誰でもない、視聴者自身なのである。
ハッタリにただホイホイとついて行ってしまうのではない。ハッタリだと解った上で、そこに敢えて熱を込めていく。それができるのは“正しい目”とE&Eの魂を持った、大人の貴方ではないか。そう言いたい。
少なくとも、『グレンラガン』はその素材としては一切の歪みがない最高級品である。

 
例によって私は今回もレンタル視聴。実際に本編を見てみるまでその内容を全然知らなかった。で、予めネタバレを見ていなくて本当に良かったと思っている。
だから、今回は極力バレを避けるようにしとります。未見の人で本作に興味を持ってくれたらそれは嬉しいです。
結果好きになれなくてもいいから、是非とも一見してみて欲しい作品である。
 
…それにしてもエロ同人誌がヨーコとニアの寡占状態なのが納得いかない。アディーネ様とか良い味出しているだろうが。ちくしょう。仮にも「同人」なんだから自分の好きなキャラを描けよ。みんなアディーネ様大好きだろ? な? …私が総統閣下なら「おっぱいぷるんぷるーん!」とか言って激昂しているところだ。
  
 
おわり