うしおととら


【出典】…マンガ 小学館 うしおととら(1990-1996) 作:藤田和日郎
 
【説明】…退魔槍「獣の槍」の使い手・蒼月潮と、妖怪・とらが、共になって妖怪たちと戦っていく物語
寺に住む少年・蒼月潮は、自宅の蔵の中で一本の槍に縫いとめられていた妖怪を解放してしまう。うしおが「とら」と名づけたその妖怪は、かつて近隣一帯を恐怖のどん底に叩き落していた大妖怪であった。また、とらを500年間縫い留めていた槍こそ、2000年以上も前の中国で妖怪を滅ぼすためだけに作られた「獣の槍」であった。獣の槍の伝承者となったうしおは、とらと共に様々な妖怪との戦いを繰り広げる。
始めこそ、降りかかる火の粉を払うごとく、襲ってくる妖怪を退治していた潮達であったが、物語は次第に世界を滅ぼす大妖怪・白面の者との決戦を中心に廻りだす。
 
【独断】…真の熱血マンガ
前回のエントリー「BAYONETTA - ベヨネッタ 」(2009.03.03)を書くのに、やたらと時間が掛かってしまったのだが、その原因となったのはズバリ、本作『うしおととら』である。
というのも、前々々回のエントリー「東方改変記〜紫幽編〜」(2009.02.25)で登場した白面の者の顔をジー…っと見ていたら、異様に『うしおととら』を読み直したくなってしまったのだ。即行で、古本屋に行って来て、全巻揃えて読みふけっていたわけだ。
全33巻。一度全て読んだ事のある作品だし、再び読み終えるのにさほど時間も掛かるまいと思っていたのだが、これが意外と骨が折れた。
藤田和日郎先生のマンガは、絵的にごちゃごちゃしていて読みづらい上、設定が変に入り組んでて、伏線をキッチリ抑えておくのが大変なのだ。話の大筋自体はややこしくないはずなのに、「どんでん返し返し返し」みたいなことが起きるので、読んでいるこちらとしても一々エネルギーを使う。熱っ苦しいし、血なまぐさいし、白面は怖いし、最悪である。
…で、大体、単行本一冊読み終えるのに20分掛かった。全巻読み終えるのに合計して11時間だ。今週は思ったより暇もなく、ブログを書く時間がまんま『うしおととら』に喰われてしまった、というわけである。というか、仕事の時間まで少し喰われた気がする…。せっかく買ってきた『龍が如く』(2005)もまだできていない。
 
そんな極悪マンガ『うしおととら』。ふざけた眼鏡オヤジが描いているこの作品だが、中身は超絶に面白かったりする。
…うーん、「面白い」というのも少し違うかも知れない。いや、凄まじく面白い事には違いないんだが、この作品を一言で表現するにはもっと別の言葉が似合っているような気もする。…「元気が出る」。って、コレもまた表面的なイメージだ。
強いて言うなら、この作品は、「るぅうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」なのである。
文章しか載せないブログで、文で書く事を放棄したような表現だが、コレが一番しっくり来る。

 
いわゆる「熱血漫画」というものがある。
ジャンルや、掲載誌は様々、バトル漫画でもスポーツ漫画でも将棋漫画でも博打漫画でも、なんでもいい。中には熱血恋愛漫画なんてのもあったりする。要は、その漫画のキャラクターが、自分の戦意を激しく綺麗に燃焼させていれば、それは熱血漫画なのである。
ただ、「激しく」はともかく、「綺麗に」というのが難しい。キャラクター(もしくは作家自身)が空回りした状態で、敵を前にただ「うおおおおおおお!!!」と気炎を上げていても、それは「熱血」にはならない。それだったら「メェルゥィークリスマスじゃぁぁああああ!!!」と叫びつつ、カップルに対して放尿しながら突進する八王子の酔っぱらいと、大して変わらない。
その漫画のキャラクターが、散々っぱら右往左往して、暗中模索を繰り返して繰り返して、その結果、ある時点で自分の為すべき事をガッチリと捉えて、それに向けて大爆発する。これが「熱血」なのである。
当然、ストーリーの盛り上がりと、キャラの爆発がリンクするならそれが一番良い。それはもう、その作品自体が燃えている状態だと言える。
藤田和日郎先生は、風呂敷を拡げて拡げて拡げて、物語終盤、クライマックスで、それを一気にどおりゃ!とまとめ上げることによって、超絶な「熱血」を描ききっている。
 
うしおととら』の場合、話の大きな縦軸は、大妖怪・白面の打倒である。
しかし、主人公の潮ととらは、白面との最終決戦まで、横道に逸れて逸れて逸れまくる。一見、物語の大筋としてはあってもなくてもいいんじゃないか、というような人助けを、方々で何度も繰り返す。そうやってエピソードが蓄積されていき、その間、潮はじわじわと成長していき、とらはその身にゆっくりと人の心を宿していく。
 
 
物語後半に入ると、それまで使い魔に任せきりだった白面が、ついに自ら動きだし、強さの真価を発揮し始める。さすがラスボス、そりゃもう、ムッチャクチャに強い。「いや、コレもう、どう戦っても無理だろ」と思わされる。
ならば、潮ととらは一体どうやって白面に勝つのか。
 
「最終的にラスボスは倒される」ということを話の前提とした場合、ここで作者がやってはいけない事が一つある。
それは、ラスボスを弱体化して描くことによって主人公一派が勝つ、という展開だ。
確かに、いくら強大とはいえ、どこかしらでラスボスが痛い目を見始めてくれないと困ってしまう。また、少年漫画の場合は、主人公がいきなり爆裂に強くなるような事があってもいいとは思う。ただ、そこに、その漫画なりの明確な根拠があって欲しい。
バトル漫画でありがちなのが、直接戦うまではもの凄く大物然としていた敵が、敗北フラグが立った途端、ガンガンに弱みを晒して負けていってしまうというパターンだ。ついさっきまで効かなかった攻撃が突然効き出し、アホみたいに主人公たちの策にハマりだす。
これは、作者が自分で上げまくったハードルを自分で下げる行為に他ならない。見ている方は結構シラけてしまう。
…では、『うしおととら』は、白面のラスボスとしてのスケールを落とさずに、なおかつ無理矢理な超展開にもせずに、真っ向からその戦いを決着させることはできたのだろうか!?
 
モロにネタバレをしてしまうが、それはズバリ、出来た!のである。もう、見事としか言い様のない最終決戦を見せてくれる。
これまで、横道にも見えていた潮ととらの方々での戦いが、彼ら自身に確かな力を与えていて、それが白面との戦いにギュッと集約されている。
また、彼らが戦う事によって撒いてきた“和”のタネが、最後の最後で怒濤の如く華開く。人間、妖怪、獣の槍、潮、とら、全てが一つになって白面の者に総攻撃を仕掛けていく。
白面は決して弱く描かれてはいない。最終決戦において、依然、凄まじい力を持ったままだ。つまり、白面に対抗するだけの力を、潮ととらは単行本32巻分をかけてキチンと蓄えてきたわけだ。
 
外伝を除く最終巻である、単行本33巻。白面との決着。ここでの『うしおととら』の盛り上がりは、「るぅうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」としか言い様がない。
普通の熱血が、「トントン」「フッ」「シャキン」「ドン」と来るのなら、『うしおととら』の33巻の熱血ぶりは、「ダンドン!」「ガツン!」「ゴォン…」「ドボ!」「グゥウォウォ」「ドォォォォオオオオオオオオオン!」という感じなのである。…我ながら分かり易い表現だ。
ワケが分からなかったら、実際に見て頂きたい。本当にそんな感じだから。
 
白面との最終決戦が見たいがために買い直した『うしおととら』だが、わざわざ全巻揃えて、一つ一つの話を丁寧に読み返したのにはこういうワケがある。最後の戦いに全てが集約されるのだから、それまでのエピソードは、潮ととらと一緒にキチンと蓄えていく必要がある。
 
…このように、拡げた風呂敷をまとめ上げるときの藤田先生の豪腕振りは凄まじい。(『からくりサーカス』(1997-2006)では色々ととっ散らかし過ぎだったような気もする…)
なんだかんだ、ちゃんとケリを付けてくれるからこの先生の漫画は好きである。それが大人の仕事だよな。
正直、リアルタイムで連載を見ていたとき(小・中学生時)より、26になった今見た方が感動できる。潮の強さというのは、子供の頃よりも、大人になってからの方が解る気がする。
…『月光条例』(2008-)はちゃんと新品で買いますよ。