センチメンタルグラフティ


【出典】…ゲーム NECインターチャネル センチメンタルグラフティ(1998)

【説明】…NECインターチャネルより発表されたセガサターン向けの恋愛シミュレーションゲーム
さらに、同ゲームを含む一連のメディアミックス企画の総称でもある。脚本や文章を大倉らいた、キャラクターイメージを甲斐智久が担当。強力な販促活動で独自のブランドを作り出すという販売戦略であった。
そのため当初から活発な宣伝がなされており、『電撃G'sマガジン』における連動小説の掲載を始めとして各ゲーム雑誌で多くの特集記事や広告が掲載された。1997年からはTBSラジオにて『センチメンタルナイト』が放送され、声優による本格的なプロモーションを開始。「SGガールズ」と名付けられたユニットを組んでイベントやコンサートが精力的に行われた。
本編であるゲームソフトは、本来の予定から半年ほど遅れた1998年1月22日に発売。販売本数そのものは上々だったものの、ゲーム中のグラフィックがイメージイラストと違っていたことや、内容がファンの期待に応えるほどのものではなかったことなどから、総じて低い評価を受ける事となった。

【独断】…発売10周年記念エントリー
ブームの渦中で買った恋愛シミュレーションゲームはこれが最初で最後である。友人のhagesanから猛烈にプッシュされて、先行発売の小説を無理矢理読まされたのが見知った切っ掛けだ。
いやぁ、当時、それはもうハマった。露骨なキャラ立ちを避けた自然なつくりのエピソード群、柔らかいタッチで美しく描かれたヒロイン達、思春期のハートに握撃をかまされたような感じだった。
小説のあらすじをより粗く説明すると、「主人公の少年が、全国行く先々でご当地美少女の恋愛フラグを立てて、転校を繰り返す」というものだ。つまり、北海道に転校したら、北海道の美少女「沢渡ほのか」嬢を惚れさせた上でどこぞに転校する。広島に転校したら広島の美少女「七瀬優」嬢を惚れさせて、またどこぞへと転校する。この繰り返しである。この主人公は小学4年の頃に青森を離れてから、中学卒業までの5年半を全国の12都市で過ごし、その各地で同級生の美少女を一人ずつ撃墜しているのである(どこが「自然なつくりのエピソード」だ…)。

ゲーム本編は、この小説の話の続編に当たる。高校3年生になった主人公が全国12都市を駆け回り、意中のヒロインと再会し、恋愛を成就させていくのである。
…考えてみれば、各ヒロインとの出会い、および好意を寄せられるエピソードは小説版にしか書かれていないわけで、ゲームソフトだけ買った人はいきなりヒロイン達と顔見知りの状態から始まるのでワケが分からないだろう。どこに行ってもヒロインが初めから好意を寄せてくる恋愛ゲームもそうはない。なんせ、ツンデレキャラですらいきなり「デレ」一辺倒だ。今思うとかなり見切り発車な企画である。
が、しかし、先行発売の小説版および甲斐智久氏のイラストが大好評で、『センチメンタルグラフティ』は本編であるはずのゲームが発売される一年以上前から、関連メディアで大ブームが起こるという異例の事態となった。
グッズ販売、ラジオ放送、イベント、ライブ、特集記事、ゲーム予想攻略本…等々等々。「本番」は来ていないのに準備で盛り上がってしまう学園祭の如く、「セングラブーム」は加熱していった。

…ここで、一つ不思議な現象が起こる。
スケジュールが遅れながらも、当然、開発されているゲーム本編の情報は小出しに出てくる。グラフィックやゲームシステムなどの記事がゲーム誌に載る。それを逐一チェックしているファン達は、応援している途中で「どうもゲームそのものはクソゲーらしい…」という事に気付いていく。グラフィックがイマイチなのは一目瞭然だし、ゲームシステム的にも無理があるのは見え見えだ。
出ては消えていく十把一絡げのギャルゲーならともかく、ここまでの大ブームを起こしたその台風の目が、実は随分と“インスタント”なデキであることが露呈していった。
普通だったらここでファンに見放されるのがありがちなオチだが、祭りの最後を楽しもうと、ファン達はこのソフトを「クソゲー」だと知りつつ買っていったのである。自分の好きなあの娘への想いに決着を付けるために、セングラファンたちは自ら進んで地雷原を駆け抜けていったのだ。

ゲーム本編は予想以上の破綻を見せた。
小説版で優しかったあの主人公が最大12股を掛けて全国を転々とする。金が無くなりゃ野宿に日雇いアルバイト。デートイベントは同じやり取りの繰り返し。女の子をしばらく放置していると、東京の自宅に無言の留守番電話が入れられるというサイコな仕様。それでもさらに女の子を放置していると、恐ろしいことに、その女の子が自宅まで押しかけてくるのだから堪らない。
それでも、男にはつけねばならないケジメというものがあるのである。意中のあの娘とのハッピーエンドを見るまでは死ぬに死ねない。学校に行きたくても行けない。仕事をしたくてもできない。セングラファンは涙にまみれてゲームをやりぬいた。
祭りの終わりはいつも切ない。そんなことを教えてくれるためにこのソフトは在ったのだと思う。
…今やってみたら、また色んな意味で切ないんだろうなぁ。

【追記】…センチメンタルグラフティ
何を考えたのか、2000年には懲りずに『2』が発売された。
それはいいのだが、前作(センチメンタルグラフティ)の主人公が冒頭にまず死ぬのである。いや、本当に問答無用、交通事故でいきなり死ぬ。
そして、新主人公が傷心のヒロインたちの心を解きほぐしていくという話なんだが…、誰がやりたいんだ、こんなゲーム。
今流行りの「寝取られ」というやつだろうか?…いや、やっぱそれとも違うよな。本当に何を考えていたんだろうか。